宮沢和史 MIYAZAWA-SICK “White Band Fes.”に出演

→ 12月3日、4日、さいたまスーパーアリーナで開催の“White Band Fes.”に宮沢和史MIYAZAWA-SICKが出演します。
1月のフランス・パリ(写真)からスタートしたMIYAZAWA-SICKの2005年は、フランス、ブルガリア、ポーランド、ロシア、イギリス、ブラジル、ホンジュラス、ニカラグア、メキシコ、キューバ、そして日本での11カ国20公演。
その軌跡は、“ヨーロッパツアー”blog、宮沢和史写真blog“MIYAZAWA-EYES”、blog“TOKYO MEETING”、そしてこの“中南米ツアーblog+podcasting”でご覧ください。
マルコス・スザーノ、フェルナンド・モウラも11月28日に来日!
“White Band Fes.”でのMIYAZAWA-SICKの感想もこちらにお寄せください。
2005年12月02日19時56分
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高野寛によるMIYAZAWA-SICK中南米ツアー特集

→ 11月第2週にオンエアされた高野寛のラジオ番組「FAR EAST SATELLITE」でのMIYAZAWA-SICK中南米ツアー特集のスタジオレポートが、番組サイト内のこちらにアップされました。宮沢和史をはじめとしたメンバーからのコメント、高野寛によるツアー・エピソードが聴けます。
(写真は、メキシコ・ティオティワカンのピラミッドで撮影)
『ラティーナ』最新号に中南米レポート掲載

→ 音楽雑誌『ラティーナ』12月号の巻頭に、MIYAZAWA-SICK中南米レポートが7,000字、5ページに渡って掲載されています。レポートしたのは、〈ヨーロッパ公演の際はその準備に1年近くを掛けることが出来たが、今回の中南米ツアーはわずか半年の準備期間。刻として進展しないラテン・スタイルの交渉に眠れない日もあり、ブラジルへ向かう機内でも頭をかすめるのは、いくつも飛び出してくる様々な不安材料ばかりだった〉というMIYAZAWA-SICKプロデューサー。初の中南米ツアーに挑んだMIYAZAWA-SICKの、舞台裏も覗ける詳細レポート。ニカラグアの子どもたちとのエピソードなど感動的です。
宮沢和史、『小説新潮』最新号に中南米ツアーの手記を発表

→ 11月22日に発売の『小説新潮』12月号に掲載の宮沢和史の連載「言の葉摘み」で、宮沢が今回の中南米ツアーの手記を発表しています。
ハリケーンによるコンサート中止の報を聞いた瞬間の気持ち(キューバ)、ブラジルでさらに深く知った移民のこと、ホンジュラスでの銃声、ニカラグアで出会った子どもたちのこと、メキシコ・グアナファトのフェスのことなど、この旅で感じたことを記した今回のテキストは、このツアーblog+podcastingの読者にぜひ読んでほしいです。
なお、MIYAZAWA-SICK全員がブラジル滞在中に見ていて、今回のテキストでも宮沢が推薦しているNHKドラマ『ハルとナツ〜届かなかった手紙』の再放送が12月5日(月)〜9日(金)BSハイビジョンで決定しています。また、DVDは2006年1月27日に発売になります。
ニカラグアの新聞に掲載されたライブ評

→ 以下は、10月15日、ニカラグアの新聞『El Nuevo Diario Nicaragua』に掲載された、MIYAZAWA-SICKニカラグア公演のレポート記事です。
当blog内でのニカラグア公演に関するエントリーはこちらとこちらです。
「Miyazawa la partio!」
盛大なコンサートだった。
日本のロック・アイドル、宮沢和史が自身のバンドと共に10月12日に行なったコンサートを要約したら、こう表すことができる。好奇心で足を運んだ人もたくさんいたと思うが、ニカラグア在住の日本の若者達が待ち遠しいように列に並んでいる姿、ストライプのパンツと頭に巻いたバンダナを見れば、彼らは何を観に行くのか知っているということがすぐにわかった。保守的な他の人たちはルベン・ダリーオ国立劇場のフォーマルな服装で出席した。
カーテンは夜の7時10分にMacollaのステージで開かれた。パワフルに、トロピカルに官能的に彼らの有名なパロ・デ・マヨを歌い踊り、日本語でも歌い、日本と中米の修好70周年の祝いに作られたサルサも演奏した。
「70年の歴史を、日本がどう中米に手を差し伸べてくれたのを思い出させるこのサルサで祝いたい」とMacollaのボーカルの一人が語った。「文化と文化を結んだ、友情と協力の70年」。
何リットルものの音楽
ステージにはボーカル用のマイク・スタンドが4本あった。そしてその後ろにミュージシャン達。Macollaの3人のボーカルたちは何リットルものの音楽の汗をかいていた。MIYAZAWAの世界的なヒット、「島唄」の、おいしいレゲエ・バージョンも汗をかいた。
「結合のシンボル」とMacollaが最後の曲を紹介したあとに、太鼓やシンバルや花火やスピーカーの大げさな音量の入場なしに、MIYAZAWAはステージに静かに現れた。
MIYAZAWAは、カーテンが上がった時から空いていた4本目のマイクの前に立った。彼は緑や青緑、水色の柄のシャツと、両サイドに白い装飾のついた黒いパンツを着て、つま先のとんがった珍しい靴を履いていた。その曲(「ひとつしかない地球」の共演)が終わり、メイン・イベントが始まった。
彼のバンドMIYAZAWA-SICKが日本のディーヴォをセンターに配し、ステージを支配した。そして、私は彼らがロック・ミュージシャンであることを知った、それも素晴らしいロッカー。だからこそ、この会場に詰めかけた日本人達は誇らしそうに輝いていたのだ。
映画ではなかった。ロッカー達だった。多くのミュージシャンはスリー・ピースの衣装を着ていて、弦と枠だけの、ギターみたいにオリジナル・デザインの楽器を持っていた(※高野寛が今回のツアーで使用したギターのこと?)。みんな、ロボットみたいな動きをしていた。しかし、ロックだけではなくラップもサルサも演奏した。
宮沢スタイル
MIYAZAWAはいろいろなスタイルを自分の音楽に取り入れるアーティストだ。ある曲ではお経を読んだ。ヒンドゥー人がお祈りするときの発声の仕方と似た、たまにカトリックがラテン語で歌ったり祈ったりするときのように歌って、みなを驚かせた。観客の中にはそれを呪文か魔法だと解釈した人もいる。英語、スペイン語、日本語で歌い、セルバンテスの言葉(※スペイン語のこと)も使ってみた。「こんばんは、宮沢です。初めてニカラグアでコンサートができて幸せです。僕らの音楽を最後まで楽しんでください」とスペイン語で語った。
「戦争のない平和な世界を求めてこの歌を歌います」と話して、「島唄」が始まった。観客はスタンディング・オベーションを贈った。MIYAZAWAはさまざまな楽器も弾きこなした。アコースティック・ギター、エレキ・ギターを弾き、カスタネットやホイッスルと、日本の伝統的な楽器も披露した。
ステージが暗くなり、コンサートが終ったように思えても、観客は席から少しも動かず、「OTRA, OTRA」(アンコール、アンコール)と叫び続けていた。そして、シャツを着替えたMIYAZAWA、バンドとMacollaがステージに出てきた。アイドルは「来てくれてありがとう。また戻って来たいです、そしてこの友情がもっと大きくなるのを願います」と話、タンバリンを手に、「風になりたい」を歌ってお別れをした。「また会えるのを楽しみにしています」。
この劇場にこれまで染み付いてきた歓声、音楽や拍手の中でも、この夜の拍手や音楽は特別な思い出に残ったことでしょう。
2005年11月18日16時06分
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