the songwriting August '98


8月1日 土曜日 曇り 詩作

朝10時、起床。
おい、もう8月だぜ、信じられるか?まだおまえは今年になって満足のいく曲を1曲たりとも完成させてないんだぜ。寝起きに独り言。
全くだ、信じられん。
今までは曲や詩の断片を書きまくってきた。要素はおそらく充分にある。困った時に開けてみる引きだしは充分にある。今日からは個別に曲をまとめていくことにする。
ギターを抱え、コンピューターの前に座る気(それは自分への戦闘体勢を意味する)になるまで本を読む。8月最初に選んだのは「TOKYO CITY MAN」でジャケットの絵を描いてもらった横尾忠則さん。「私と直感と宇宙人」。このタイトルを見たら読まずにはいられない。何時間もの間、俺は横尾さんの思考の渦の中に居た。気がつくと、時は既に夕方にさしかかっていて、彼の本を3冊も読んでいた。
彼を動かすエナジー、それは途方もないものだ。俺の想像を遥かに超越したものだ。得体の知れない元気が俺の中に湧いてきた。有難う、横尾さん。
今日読んだ彼の対談集の中に、岡本太郎との対談があった。爆発と爆発との対話。これが更なる「爆発」を呼んでいる。会話と云うより、あっちこっちで様々な種類の爆弾がサクレツしているようなものだった。怖るべし、2人の巨人。ひれ伏すラケンローラー。
96年にお会いした際、俺は彼の前で歌ったが、その時の自分のダサさが、またしてもまぶたの裏によみがえってきた。俺の爆発はネズミ花火並みだった。もし、またお会いすることが出来たら、せめて天には打ち上がるやつにしたいと思う。
夜9時、第一ラウンド開始。もっとも元気のある曲を選択。曲を聴きつつ思いついたことを全て書き殴って終了。
俺は1ラウンド2時間以上は闘えない。集中力がそこまでしか持続しない。
犬と散歩し、ローラーブレードで街を走る。

8月2日 日曜日 晴れ ロックンロール

朝10時、起床。
洗犬、掃除、雑務をこなし、買い物を済ませたら時既に夕方6時。
夜8時からNHKでベトナム戦争の当事者(つまりアメリカと当時の北ベトナムの高官)どうしの討論会をやっていた。アメリカ側の主張を聴いていると、胸クソが悪くなってきた。(ちなみに死者はアメリカ兵5万人、ベトナムは罪のない多くの民間人を含む350万人。アメリカ兵の多くは帰国後、精神を殺らられた。どちらにしても闘ったのは兵士達であり、出演していたアメリカの連中は「命令」していたに過ぎない。)
しかし、あの無意味な戦争を振り返ることは大きな意味がある。人間の集団と云うものがいかにアホか、いかに暴走するか。それを討論するだけでも意味があるように思える。
それに比べ、日本人は何をやっているのか?今さら俺達の世代は、あの無意味な戦争の全ての責任を取ることは出来ない。しかしその「無意味さ」について語りあい、少なくとも「謝罪」することは出来る。俺は時々自分が日本人である事が恥ずかしくなる。
俺は2〜3年前にこういう経験をした。
ちょうど8月13日あたり。俺はイギリスに居た。安宿でテレビ(それもBBCだ。日本で云うところのNHKに等しい)を観ていると、やたらに「VJ DAY」と云う言葉が出てくる。退役軍人達が「ジャップ」と云う言葉を連発し、日本軍の蛮行について非難している。それも勲章を胸につけて。つまりイギリスにとって、我々の「終戦記念日」は「VICTORY JAP DAY」なのだ。仕方がない、と思った。我々の国は非難されてしかるべき行いをやっていたのだから。
2日後の8月15日。俺はある港町に居た。
人々(多くは老人達)の視線が俺に厳しい。それは肌で感じるものだ。俺はアメリカの南部でKKKの取材をしていた時にも同じ視線を感じたことがある。
その街は退役軍人達が多く暮らす場所だった。おまけに運悪く、その日は「VJ DAY」だった。クソッタレの軍服と勲章によるパレード。彼等が口にしていた言葉は、思い返してもここには書きたくない。胸クソが悪い。俺は右翼でもなんでもないが、その時ばかりは「日の丸」を持ってパレードの中を突っ走ってやろうかと本気で思った。じゃあ、イギリスがやってきたことは何なんだ。「侵略」と「略奪」に血塗られた「大英帝国」の歴史じゃないのか。アイルランドをあんなにボコボコにしたのも、この港からアメリカに渡り、インディアンを撲滅しようとしたのも、世界中に植民地を作って、英語がエスペラントだと思い上がってるのも、みんなあんた達の先祖じゃないのか?日本がアジアに於いてやってきた事とどこが違うんだ?
翌日、俺はヒースローから某日本国の飛行機に乗った。空港では幸せボケした日本人が免税品を買いあさっていた。機内では「終戦記念日」の模様がスクリーンに映し出されていた。それは「VJ DAY」ではなかったし、その画面を観ている人間は少なかった。3度、胸クソが悪かった。俺も含めて全てがだ。
熱くなった。クールダウンするためにも、ローラーブレードで街を走る。
そして詩作。今日の思いを込めて書く。「閃いた」。タイトルは「ロックンロール」。俺を動かしてきたのはこれだ。全てはここから始まって、今だにそれに取り憑かれてる。どんな政治家や歴史上の人物も「Like a rolling stone」を超えてはいない。俺の中では。

注 この日のダイアリーの内容がホームページのBBS(誰でも書き込める掲示板のような場所)に波紋を起こした。以下その内容である。インターネットでは自由に書き込みでき、投稿者の許可を得ることが出来なかったため、名前はイニシャルにしてある。



8月2日の日記に対して思う事

投稿日 8月4日(火)23時09分投稿者 Tさん(多分女性)

山口さんへ、少し意見を言わせて下さい。
日本が過去に関わってきたどの戦争も無意味なものだとは言い切れません。
無意味と言い切った山口さんの言葉に唖然としました。
戦争が起こるべくして起こった時代の背景、各国の情勢、雰囲気、つまり
歴史を勉強、もしくは追体験してみましたか?
もしそうでないならば、無意味だったと安易に言って欲しくないです。

なぜ日本人である事を恥じる必要があるのでしょうか。
日本が過去にアジアを侵略する為に戦争を起こしたのではない事は
今では常識となっています。
あの当時、日本軍は欧米諸国の植民地とされていたアジアの国々に
勇気と行動力を与える為に戦った面もあるのです。

イギリスにいた時の体験談を書かれていましたが、
『アーロン収容所』会田雄次著(中公新書)は読まれましたか?
私達の先祖は、決して、非難されてしかるべき事なんてしていません。
戦争と云うものを語る時、自分の受けてきた教育を振り返る事から
始めるべきではないでしょうか?

Tさんの意見について

投稿日 8月5日(水)00時15分 投稿者 Mさん(女性)

私は、あなたの意見を読んで少し恐ろしくなりました。
どんな理由であれ、私は正しい戦争なんてないと思うし、戦争という行為に
、勇気も行動力もないと思います。あるのは、ねじ曲がった人間達の私利私
欲の為の欲望だけだと思います。
でも、うまく言えないけど、日本は戦争に負けなければ、今の憲法第9条が
なかったわけだし、核を持たない、作らない、持ち込ませないというものな
いわけですよね・・・。そう考えると、頭の中がパニックになります。
結局正しい意見なんて私には言えません。ただ、どちらかというと私は山口
さん側の意見に近い人間だと思います。
2年前にフィリピンに2週間ほど行ったとき、フィリピンの国立の博物館に
行きました。そこには、フィリピンの歴史が人形で、時代を追って再現して
ありました。
フィリピンの歴史は、侵略と植民地の歴史と行っても過言じゃないほどすご
いものがあります。その中に日本もありました。私は日本が侵略している人
形に所に長くはいられませんでした。そこにいるのがすごく辛かったです。
それと同時にやっぱり日本人である自分が恥かしくなりました。
今でもフィリピンでの日本は、戦争だけでない様々な問題を抱えています。
(例えば、父親のいない日本人とフィリピン人とのハーフの子供、等々)で
も私には何もできません。
その考えが、もしかしたら日本人である私の偽善なのかもしれません。難し
すぎます。でも、これからも考えると思います。それぐらいしかできないか
ら。

Private Revolution

投稿日 8月5日(水)01時06分 投稿者 Sさん(女性)

同じ思いの人達が集まるのは素晴しいことだけれど、そこに「こうでなけれ
ばならない」という制約ができてしまうと、集団というのは怖いところにな
  ってしまいますね。
個々の力が集まった結果の集団ではなく、一人一人の顔が存在しない「塊」
となってしまうのは私にとってとても怖いことです。
それぞれが、それぞれのベクトルを持って(人を傷つけてはいけないけれど
)好きなようにある対象に向かえたらいいなと思います。
たとえば、このBBSは一切制約がないこと(ヒートウェイヴの話題だけでな
くても大歓迎)はすごく山口さんらしくて好きです。

個人的な革命、私にとっては、自分を常に新しくしようとすること、視点を
変えていくこと、のように感じました。
カール・ウォリンガーの思いは、山口さんの中で点と線になってつながって
いるんだなと
「NO FEAR」そして「1995」を聞いた時に。

私も個人的な革命を自分なりに続けていけたらなと思います。

戦争について

投稿日 8月5日(水)02時07分投稿者 蝿の呟き

 「戦争」の無意味さというのは、そこからはなにも産まれてはこないとい
うことではないでしょうか。私たちは人を殺したり憎しみあったりするため
に生まれてきたのではないと思います。もし「戦争」のよって歴史が清算さ
れるのなら私たちは唯一無二の宝物を発見したことになるでしょう。しかし
  この世に歴史を清算する道具はないのです。だからいつも過去を振り返り、
  今を見つめ、そして未来を考えることが重要なのです。それが歴史を考える
  ということではなのでしょうか。
 あの戦争すべてが否定できない面もあるでしょうが、「民族開放」という
のはひとつの側面(否定的に言うなら大義名分)にしか過ぎないのです。肯
定だけの論理が通用するのは、一部の人だけです。戦争で自国の非を認める
のは容易なことではありませんが、お金だけではなく政府の見解をはっきり
し、犠牲になった人に対してきちんと謝罪できていれば、私もこの国の一員
であることに誇りがもてるでしょう。
 あの戦争で私たちが手にいれた権利が奪われるときは私も戦います。言葉
やピアノで。

8月2日のROCK'N ROLL DIARYは ASS HOLE

投稿日 8月5日(水)02時33分 投稿者  S君(男性)

はじめまして。

ぼくはCさんの意見に賛成。
もちろんいかなる戦争も「クソくらえ」ですけどね。
ぼくは非暴力の立場です。
でも我々凡人の意識でどうしても否定できない闘いがあるのは事実。
小林よしのりさんの本”戦争論”に涙したのも事実。
山口さんの日記を気にいっていることも事実。
けども山口さんの偏狭さが時に退屈なことも事実。
”Like a rolling stone”を軽く凌駕するラジカルな革命児はボブ・ディラン以
前もいましたよ。例えばチャップリン。彼は激動の時代の日本をこよなく愛
しました。欧米にはない”美徳”を感じたからでしょう。今の時代より遥か
に人を敬う心がそのころの日本人にはあった。そう思っています。
ヒートウェイブのいくつかの歌が好きだけど、山口さんの8月2日の日記、「
クソでも食えよ」でした。
>俺の一番嫌いな日本人で、日本一広い家に住んでいるオッサンが意味不明
の日本語を喋っていた。
これは天皇のことを言っているんだと思うけど、馬鹿らしいです。ぼくはオ
ウムの教祖の方が嫌いですね。あの馬鹿野郎も日本人ですよ。

ケツの穴返信

投稿日 8月5日(水)03時05分投稿者ラケンローラー 山口 洋

Cさんへの返信です。
まず最初にお断りしておきたいことがあります。僕は確かに文献や人の話か
ら多くのことを「情報」として仕入れていますが、自分の「足」や「目」で
感じたことしか信用しません。文献は参考以上には値しません。世の中に「
フラットな視点」で書かれたものなど存在しないと思うのです。僕が甚だ偏
っているように、誰もが偏っていると思います。その基準は自分で決めてバ
ランスを取るべきことなのではないでしょうか?
学校では何も学べないことを学びました。(これはいつも教師に反抗ばかり
していた僕にも責任があります)したがって僕は「教育」から何かを学んだ
わけではありません。今も昔も必要にせまられて、学びつつある状態に過ぎ
ません。
同時に、それを言い換えるなら、僕なりに学んできたと云う自負でもありま
す。そういった意味で、日本が関わってきた戦争は「無意味だった」と云い
きることが出来ます。あくまでも、僕の意見として。
  そんな意味において、
あなたの「日本が過去にアジアを侵略する為に戦争を起こしたのではない事
は今では常識となっています」なる意見に僕は同意できません。その「常識
」はあなたにとってのものであって、僕のものではありません。
どちらにせよ、こういった異なる意見が飛び交うことを嬉しく思っています

戦争について思うこと

投稿日 8月5日(水)12時27分 投稿者 Yさん(女性)

私はどちらかと言えばCさんの意見に賛成です。かと言って他の人の意
見を否定はできません。無意味な戦争も存在していると思うからです。
例えば、今ではその体勢も壊れてしまいましたが、ソ連vs米国の力の誇張
ゴッコによって引き起こされた戦争。戦争には至ってませんが、インドとパ
キスタンの核実験に表象されるような国力の争い(背景にはいろいろあると
思いますが)は全く無意味な争いだと思います。
でも、そんな戦争ばかりではありません。国家に銃を突き付けられている民
族・国民がアフリカやアジアにたくさんいます。そんな人達はどうやって主
義主張をすればいいのでしょうか。赤子が我を通すように強烈な声を上げる
ことは、時としては必要なことではないのでしょうか。その声が武力に取っ
て代わったとしても、民族や個人としてのアイデンティティを守る事は悪い
ことだとは、私は思いません。
こういう場合に限って、戦争は無意味なものではなく、必要悪だと思います

見方1

投稿日 8月5日(水)21時25分 投稿者 S君

2,3日前にTVを観ていたら『毒いりカレー事件』について放送してました。
そしてA局とB局で異なる「見方」をしていました。ヒ素が混入していたと
いう新事実に対し、A局の大学教授のコメントは、「今ごろになって確認さ
れたというコトはとても微量。不純物ではないか。工業系青酸化合物には、
含まれることもある。」と言ってました。B局の教授は、「青酸化合物とヒ
素がともに入った薬品はない(量が多いと思ったのか)。なぜ劇物を二つ入
れたのか理解に苦しむ。」と言ってました。これにより、犯人が意図的に混
入したかどうか認識が分かれ、犯人像も各々異なるようになってしまいまし
た。四人が死んだコトは事実であり、そんなことはどっちでも良い、と思う
かもしれませんが、当事者、特に被害者の遺族にとっては『どっちでも良い
』ことではない、と思います。愛する者を理不尽に奪われた悲しみに、さら
に追うちをかけるものかもしれず、疑心暗鬼や人間不信を助長する可能性も
あります。現場から遠く離れた東京の「専門家」の意見に多くの人がかき乱
されるという事実に驚きました。「専門家」のちょっとした先入観で、僕た
ちは様々な「見方」を持ってしまうのです。

見方2 

投稿日 8月5日(水)21時40分 投稿者 S君

白黒はっきりつくと思われている化学データでさえこうなのだから、「戦争
に関する見方」なんて多くの「専門家」によって様々な見方があると思いま
す。どれを信じ、選択するか個人のかってだと思いますが、
ただ僕が怖いと思うのは、自分が信じ、常識であると思っているモノを、誰
かに納得してもらうために、「この本に書いてあるから」
「この漫画が言っている通り」ということが、説得の根拠になると信じてい
る人がいることです。それは、あまりに不毛なことだと思います。

戦争

投稿日 8月6日(木)10時38分 投稿者 Yさん(多分女性)
私は人間がいる限り、戦争は永久的なものだと思います。
戦争を肯定しているわけではありません。
だって、人間ってアホだもん。自分が一番かわいいし、人を憎む心を持って
るし、憎んでなくでもカレーに毒入れて人を殺せるし、悪いことだと分かっ
ていても、戦争が無かった時代などないし・・・・。
Aさんの言う“一握りの狂人たち”。
確かに殺戮を繰り返してきた狂人(指導者)はたくさんいます。でも、彼ら
も歴史の犠牲者だと私は思うんです。元から、狂人である人はいません。彼
らを狂人にさせたのは、背景にある歴史や文化や、列強の国や、他民族との
確執や、家族、思想、etc・・・・だと思うんです。彼らも歴史の犠牲者
なのではないのでしょうか?
このBBSは素敵な交流の場ですね。
私はHEATWAVEのファンになって良かったと思います。

偏り意見(しかも穴だらけ)

投稿日 8月6日(木)16時50分 投稿者 とや

はじめまして.ヒートウェイヴに心をうばわれた「とや」といいます.
私達は歴史上なにがあったかをしっかりと見据えて生きてゆく強さが必要で
す.一時人が恐くなるけど.
自分は今死ぬのは嫌だし(生きてて楽しいから),それだけに他人を殺すの
もごめんです.人の生きがいは,殺し合い,暴力などの手段をもって得られ
るようなセコイものではないのです.
その人がどんな社会的背景で育とうと,憎しみ,欲望は戦争や殺戮で解決は
できないでしょう.人を殴って相手が黙ったからといって自分の主張を解っ
てもらえたとは思えません.ましてや暴力反対を暴力で主張するのは説得力
なしです(学校の先生も).
また,もし暴力で欲望がかなったとしてもそれは幻想です(物質的な世界征
服欲とか).私はたまたまそれをくだらないと思える環境に育ってきただけ
ですが,だからこそ声を大にするのです.
この世の中には人の尊厳を感じ,そしてすきになる機会が多くあります.友
達には無意味に他人や自分自身を殺させられることのないように幸運をいの
ってます.そしてできることなら自分の音楽,研究,友達,食べ物etc.本当
に必要なものに命をかけてゆきたいなぁ.

投稿日 8月6日(木)18時08分 投稿者 Kさん

   Sさんが かちっ と音のなるような出会いをCLICKと表現されていまし
たが、私の場合 やばっ といった感じでそれはやってきます。この掲示板
を読んでいるとそういう出会いがたくさんあってふーっと深呼吸することが
あります。愛媛から書いている人もいるようですね。
さて 戦争について何かかたらないといけない 学校の先生 という仕事を
しているのですが 愛媛ではそういう事をかたれない空気
を感じて私は愛媛を飛び出してしまいました。やっとかたれる環境にいるの
ですがかたる言葉をまだ持っていません。でも とやさんの言うところの生
きてて楽しいと思える瞬間があるかぎり 理不尽な力で殺されたくないと思
います。HEAT WAVEのライヴでは生きててよかったなーと思えるし
 BUTTERFLY COLLECTORSの永山さんのライヴにいって握手してもら
えたし。

ウチのじいさんは戦場へ行った

投稿日 8月6日(木)22時06分 投稿者  Sさん(女性)

  私のじいさんは士官学校出のバリバリの職業軍人で
太平洋戦争のときは南太平洋のほうで落下傘部隊の隊長クラスだったそうです。
運良く彼は戦場から帰還し、敗戦後は戦争裁判の結果数年間服役していたのだそーです。
そして現在、90歳に手が届こうかという彼は、息子4人、孫9人に恵まれ
静かに、少々お気楽に余生を過ごしています。(祖母は3年前に他界)

あの時代、日本は無謀な戦いを挑んだのだけれど
国民が納得する理由があったのじゃないでしょうか。
たといそれが幼稚でクソッタレな大義名分だったとしても。
国の偉い人々がいろんな無茶をやって、
でも、あのときの日本の人々には、自由にものを言える権利や自由が
無かったのだ、と思うと、「怒り」よりも「哀れ」という感情の方が私には強い。
ウチのじいさんが職業軍人という道を選んだのも、かぎられた中での選択だったんじゃないかと。
当然そんな時代は繰り返しちゃいけないと思うわけで。

広島の原爆の日

投稿日 8月6日(木)22時32分 投稿者 しぃ

今日が広島に原爆が投下された日だということをニュースを見るまで忘れて
いた愚か者です。
広島の隣で育ったので、子供の頃は、8時15分のサイレンを毎年当たり前
のように聞いて、
テレビの平和祈念式典をみてこの日があることが当たり前だったのですが、
大学で福岡に行き、就職して東京に来ると、夜のニュースで見る風景と化し
ていることに、
毎年驚いてしまうのです。我ながら。
こんな風にして、忘れていってはいけないとは思いつつも。反省。
今日は、某国営放送で、原爆の検証みたいな番組をしてました。
アメリカの大学や日本の大学の教授たちが、事細かに原爆の爆発の検証をし
てました。
投下の何秒後に閃光が走ったとか、光の大きさはこのくらいのはずだとか。
思ったのは、彼らは(特にアメリカの学者たち)、原爆の驚異を伝えるため
に、
そんなことを研究しているのか。それともよりすごい爆弾を作ろうとしてい
るのか。
できあがったCGはすごいけど、それが本当に広島の痛みを伝えるようには
、思えない私です。

奪われていく言葉について

投稿日 8月7日(金)12時50分 投稿者 green

こんにちは。はじめまして。最近天気悪いですね、みなさんお元気ですか?

私は戦争についてあまりよく知らないのですが、ひとつだけ自分で確信して
いることがあります。それは「人の言葉を奪ってはいけない」ということで
す。私は自分の言葉で感じたいし、考えたいし、コミュニケートしたいし、
今までそうしてきました。いまだ発展途上で、何一つ自慢できない私にとっ
ては「自分の言葉を守る」というのはほとんど「自分の誇りを守る」と同義
です。もちろん私は英語の本を読むのも好きだし、英語の歌も好きです。語
学の才能があったらもっといろんな国の言葉を知りたい。でもたとえ他の言
葉を話せたとしても、日本語で感じたことを日本語で話すな、と言われたら
死ぬほどつらいと思う。
いろんな理由で戦争は起こるのかもしれませんが、そして侵略戦争だったか
、そうでなかったかの議論もあるのでしょうが、私はその人たちの言葉を奪
うことは侵略以外の何物でもない、と思います。
うまく書けなくてごめんなさい。

言葉を奪われたら

投稿日 8月7日(金)14時30分 投稿者  Nさん(女性)

考えると、とても恐ろしくて心臓がどきどきしてきました。
今まで、自分の身にそんなことがおこるなんてこと
考えたことがなかったのですが、現に世界中には、
言葉を奪われた人たちが、たくさんいるんですよね。
日本の中でも、アイヌの人たちは一生懸命に自分たちの
言葉や文化を守ろう(取り戻そうと)としている。という
ニュースを見ました。
私も自分の言葉が奪われるのは、絶対に嫌です。
日本語で聞いて、日本語で話して、日本語で歌いたい。

侵略というものが、いかに残酷で、身勝手で、くそったれなもので
あるのか、ということを改めて感じました。
greenさんの「自分の言葉を守る」というのはほとんど「自分の誇りを守る」と同義だという言葉、まったくその通りだと思います。

ウクレレを奏でつつ・・

投稿日 8月7日(金)15時51分 投稿者  Y君

  (ってろくに弾けないんですけど・・・)
Nさん、greenさんの「言葉」についての話。本当にそういうことだと思
います。
僕が一番恐いのはいろんな状況に慣(馴?)らされていくという事です。
だからこそ「自分の言葉」を大事にしたいと思う。
ただ、自分の世界にだけで閉じてしまわないように、
自分にとって未知のものでも何かを感じとれるような「想像力」を携えてい
られたら・・・
と思います。(言うのは簡単なんですが・・・)

侵略

投稿日 8月7日(金)16時35分 投稿者 しほ

フィリピンでは、日本人のためのパイナップル畑を作る為に
軍隊が住民を立ち退かせたそうです。
警察では立ち退かせられないのだそうです。
日本企業が進出することによって、現地で反日運動が高まっているそうです。
「第二の侵略だ」。

最近の書き込みの流れから少し外れた気もしますが、
こういう話を聞いたので書きました。実際自分で見たわけではありませんが。
現在の日本が何によって形作られているのか考えます。

日本人であること

投稿日 8月7日(金)23時39分投稿者 Tさん

Cさんの、日本が過去にアジアを侵略するために
戦争を起こしたのではないという事は今や常識となっている、という記述が
文献等によるところの確信であるなら、日本が戦時アジアで大規模な殺戮を
行ってきたのも今や常識になっている、と言ってもいいと私は考えます。

例えば南京大虐殺ですが、中国側だけでなく欧米側による文献、
日本人ジャーナリストによるルポルタージュなど、その事自体に関しては
世界中に知られていると思います。
南京大虐殺についての本を中国系アメリカ人の女性ジャーナリストが
出版した際、日本で立派な肩書きをもつ何人かの人達が、この本の内容は
全くの作り話しだという公演をしたそうです。
また、南京大虐殺はなかったと堂々と明言している政治家もいます。
従軍慰安婦のことを教科書にのせるのはどうか、と言った政治家も
います。
韓国(だったと思う)に修学旅行にいった高校生が
タクシーにのり年配のタクシー運転手が話す流暢な日本語に対し
「おじさん日本語うまいね、ホームステイしてたの」と聞いたと
何かで読みました。
この高校生に常識がないのでしょうか。
それとも次の世代にその事についてきちんと語り継がない
国が非常識なんでしょうか。

私は日本人であることを恥じたくはないし、誇りに思っていたい。
しかしそれは知らん振りのままや、認識がないうえにはありえないと
私は思っています。

「風にハーモニカ」に“遠くの出来事にあんたはいつも優しく
近くのことにいつも黙り込む”というところがありますが、
私はいつもこの言葉を心に携えていたい。そうなりそうなとき
自分を奮いたたすために。近くのことに黙り込まない勇気を
もてるようでいたい。

日本人であること

投稿日 8月8日(土)14時22分 投稿者 S君

Tさん
これを言うのはちょっと躊躇するけれども...。
小林よしのりさんの
 新ゴーマニズム宣言3
 新ゴーマニズム宣言4
 新ゴーマニズム宣言special”戦争論”
を読んでみたらどうでしょう。チハルさんの言っていることわかると思いま
すよ。

人によって意見は様々だろうけど、少なくとも彼は誰よりも勉強しているし
、考えているし、そして全身全霊でこれらの問題に取り組んでいます。そし
てぼくは時々疑いながら読んでいます。疑える余地を残しているからこそ彼
の言うことをぼくは信じられます。少なくともこれだけ大きなテーマに真っ
向から挑んでくる作家はいないですよ。好き嫌いを越えたところで圧倒的な
存在感を持っています。彼の話しには耳を傾ける価値がある。そうぼくは思
います。だから直子さん、ぜひ読んでみてください。

世論の背後に潜む底流

投稿日 8月9日(日)01時47分 投稿者 Cさん(女性)

私が、自分が知りたい事について考える時に心掛けている事は、
事実に基づいた文献を読む、
そして、その文献を検証する文献も読む
(ただ賛成だの反対だのと云っているのは論外)。
とにかくあらゆる面から疑いをもってかかる。
眉唾物の本も読みます、確認の為。
新聞はそうやって読むととっても面白いです。特に朝日。
(但し、私の愛読新聞は産経。)
そして、たくさんの人との会話。

Tさん、物事を多面的に見る為に、ぜひいろんな人と
いろんな話をして下さい。ちょっとこんな考え理解できない、
という人の話ほど自分を成長させてくれるものはありません。
2つ以上の国が関わっている事象を一方から
決めつけている意見だけでは、物事は一面しか見えないどころか、
歪んで見えていることだってあるのです。

のんびりしつこく

投稿日 8月9日(日)14時03分 投稿者 green

戦争の話や、原発の話、南北問題に民族紛争、環境問題、そして身近な場所
での小さな差別について。深く理解したいと思えば思うほど、混乱してつら
い時期がありました。もちろん「深い理解」なんて出来るはずもなく、いま
だ混乱しつつ日々を過ごしているわけですが。
さまざまな角度から物事を見なければと、いろいろな人と話し、本を読み、
その現地へ行くこともあります。けれど、そこで得た知識に自分の想像力が
追い付くまでには結構(かなり)時間がかかります(私の場合)。ある日突
然、「ああ、そうなんだ。」と実感して、やっと自分の考えがちょっとだけ
深くなった気がする、というのがいつものパターンです。
その「実感」も、私の想像力の貧困さによってはずいぶん偏ったものだろう
と思います。でも自分の想像力を信頼してやってくしかないです(想像力を
日々鍛えつつ)。

のんびりしつこく、考えていくしかないんじゃないのかな?
Don't be rush.Take your time.

ところで。ヒートウェイヴのライブで踊り狂っている時に歌詞とリズムとメ
ロディが同時にわかる、「日本人である幸せ」を感じるのは私だけでしょう
か?


8月3日 月曜日 雨 映画を観ただけの日

昼12時、起床。
夕方まで本を読む。
5時、リハビリに行き、そのまま新宿へ。映画「LAコンフィデンシャル」を観る。俺は原作者のジェイムス・エルロイの文章が好きだ。混沌、憎悪、トラウマ、怒り、やるせなさ、そして鋭さ。原作を読んで、この内的なものをハリウッドがどう映像化するのか?そこに俺は興味があった。
結論から云うと、とんでもない駄作だった。俺にとっては。突き抜けた娯楽大作(ハリウッドお得意の)でもなく、人間の内面を深く描いているわけでもなく、視点はボケボケだった。
映画館にわざわざ足を運ぶ理由。それは映画館から一歩外に出た時の、「現実」と「非現実」の狭間にある微妙な気分を味わいたいからだ。時に「現実」になじめず、時には「現実」にハッとされられたりする。その瞬間が好きなのだ。今日はただ生温い雨が降っていただけだった。
気分が晴れないので、近くのバーでギネスを4杯ほど飲む。代金7000円。このゴーツクバリめ。ますます気分が悪くなる。
タクシーで家に帰り、仕事をしようと思ったが、どうにも精神的に気分がすぐれないので、思いきって飲んで寝ることにする。

8月4日 火曜日 曇り 詩作

昼12時、起床。
いつも深夜に仕事をしていたが、それでは追い付かない状況になってきたので、夕方までコンピューターに向かう。
夕方、悪友達から「渋谷で待ってるぜ」との電話。仕事をほったらかして、出かけていきたいのは山々だったが、行けば街の藻屑になるのが見えていたので堪える。

8月5日 水曜日 晴れ、曇り、最後には雨 詩作

昼12時、起床。
飯を喰って、夕方まで詩作。未だ1曲も仕上がらず。焦っても仕方がない。出来んもんは出来ん。横尾さんもそう書いていた。
5時、ニューヨークから帰省している友人のMがやってくる。彼はコーディネーターの副業をやる傍ら、子供達の日常を撮影し続けている。ムーヴィーによるナレーターなしのドキュメンタリー。4年の間、撮影し続けていても、未だ「撮れた」と云う実感がないのだそうだ。俺は彼の作品が出来上がるのを楽しみに待っている。
世の中にはどうやって友人になったのか、互いに思い出せないと云う不思議な人間関係が存在する。彼の場合もそうだ。ずっと前にニューヨークのバーで2人で飲んだくれていたのが最古の記憶だ。
互いの「刺激」。同世代の人間が「作品」で刺激しあえるのは嬉しい。そんな話をした後、握手をして別れる。Mに幸、多かれ。
それから、同じく同世代の友人が体調を壊して、大切な仕事をキャンセルしたことを知る。無念な胸のうちは想像に難くない。けれど彼は俺の倍位のスピードで身を削ってきた。精神に身体がついていかなくなったのだろう。きっと今は休むべき時だ。俺は彼に比べるとグータラなので、こうやって大病もせずやって来ることが出来ただけだ。
我々の仕事は身体が資本だ。ダサく聞こえようともそれはホントだ。そんな事を考えながら「そんなに無理しなくても、君のギターは錆びてはいない」と云う一節を書いた。
この1〜2日の間、俺が書いた8月2日の原稿がホームページの掲示板で波紋をよんでいる。それは「戦争の無意味さ」に関する文章だったのだが、ひとりの女性の発言を機に様々な意見が飛びかっている。確かに一瞬ムッとすることもある。同時に考えさせられることもある。それはとても嬉しいことだ。
俺を導いたのは音楽だった。これを機会に思いつくいろんな曲を頭の中で鳴らしてみる。ウォーターボーイズの「The whole of the moon」、ニルソンとジョン・レノンがカバーした「Many river to cross」、ストーンズの「Memory motel」、エトセトラ、エトセトラ。やっぱり好きだ。そしてどんなに俺がクソッタレでも、それらの音楽を好きでいる自分だけは信用できる。それを書きたくて、再度詩作に取り組んでみる。タイトルは「ロックンロール」だ。

8月6日 木曜日 曇り 飲んだだけの日

昼12時、起床。
掃除をして昼飯を喰う。
夜からの本格的作業に備えて、夕方まで詩の断片を整理する。そこへ友人S登場。近くの飲み屋に行くことになる。人間は27くらいになると必ずブチ当たる命題のようなものがある。他聞にもれず、彼女もそれにぶつかっているのであった。社会と自分との軋轢、これじゃない何か、ここじゃない何処か、煮えきらない毎日。俺は人生相談なんてできないし、(こっちが誰かに相談したい位だ)自分の経験を話すしかない。
諦めるか、諦めないか、闘うか、逃げるか、何も考えないか。そのどれでもない。ここのところ毎日書いているように、俺は音楽が好きなだけだ。もしそれさえなかったら、と考えると確かに背筋が寒くなる。
彼女と同じような悩みは俺にもあった。この先どうなるんだろう。そう云う不安は今でもある。けれど毎日、やりたい事があって、それをやり続けていくうちに、そんな不安があったことさえ忘れている。考える暇がなかっただけかもしれない。
結局、俺は飲み過ぎて使い物にならなくなった。こんな日は寝るしかない。

8月7日 金曜日 晴れ インスピレーションの途切れたミュージシャン

昼12時、起床。二日酔い。
夕方まで使い物にならず。ローラーブレードで毒素を身体の外に追い出す。
夕方、車検に出していたラケンローラー号を引き取りに行く。俺の車はウルトラセブンのポインターより派手でしかもダサい。貰った車とは云え、あまり人に見られたくない。
その後、何も食い物がなかったので、買い物に行って、何故か冷蔵庫を買ってしまう。友人が大勢やってきた時にビールを冷やしておくために。アホかおまえは。
今日はどうも思考が錯綜している。点と点とが結びつかない。
そんな折り、モーガン・フィッシャーからピクニックの誘いのメール。文面が踊ってる。英語で書かれていてもだ。俺にはこんな風に見える。「あしたさぁ、ピクニックしようぜ。昼間っからビール飲んでさぁ、サンドイッチ喰ってさぁ、気持ちいーぜきっと。」奴は呑気でいいなぁ。「お茶」を持って、ちょっとだけ顔を出すことにしよう。
それからレコーディングに関するサゼッション。「俺さぁ、もっと楽しいレコーディングがいいと思うんだ。ビリー・ブラッグの新譜みたいにさぁ。ファンをスタジオに入れてさぁ、伴ちゃんにビール飲ませてさぁ。いいじゃん間違えたって、人間なんだからさぁ、ライヴみたいに録音しよーぜ」。確かに一理ある。いいかもしれん。第一、早い。しかし、レコーディングにおいて一番修正する時間が長いのは、彼モーガン・フィッシャーである。
深夜、詩作。インスピレーションなし。トホホ。

8月8日 土曜日 晴れ 詩作

昼12時、起床。
飯を喰って、夕方から近くの公園にてモーガン・フィッシャー主催の「ピクニック?」に参加。そこには彼手作りの料理があって、参加している人々もブラジル人、オーストリア人、フィンランド人、九州人と多彩であった。これだけの国の人間が集まると、公用語は英語にならざるを得ない。
俺は犬を連れていったが、奴は久し振りのお出かけに舞い上がったのか、到着するやいなや、料理の上を走り廻って台なしにする。申し訳ない。本来は土曜の午後に酒を飲んでいるなんて、サイコーの気分のはずだが、仕事がたまっている俺は「お茶」を飲む。モーガンが「おまえ大丈夫か?」的な顔をしてる。「大丈夫じゃない」んだよ。俺は程々に飲むということがどうしても出来ないタチなのだ。いつもゲロかゼロかどっちかだ。
陽が暮れる前に、「ピクニック」をおいとまして、俺は仕事にかかる。
10年近く前に書いた「夏」と云う曲がある。友人に云われて思い出した。アルバムに収められていないこの曲を何故、彼が知っているのかは定かではないが、今の俺に響くような気がしたのだ。俺の田舎では夏の間、蝉達が入れ替わってゆく。アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクホウシ、ヒグラシの順に。この蝉の声と共に、俺にとっての「夏」の原風景が頭の中に残っている。この景色をウェットにではなく、クールに描いてみたい。実際、俺の頭の中にある景色は非常に日本的なのだが、そこの吹いている風はとても乾いている。そしてそこに立っている俺は渇いている。
深夜までかかって、そのイメージを音にしていく。鈴虫の声をサンプリングし、それに音階を当てはめていく。ジョニ・ミッチェルのギター、右には山口のギター、ニューオーダーのベース、歌っているのは渇いた男、バックには妙な鈴虫の声。何でそうなのかは自分でも分からない。ただ、そうとしか云えない。
取り敢えず、原形のようなものは出来た。今度バンドの連中に会ったら、彼等の原風景を混ぜてもらうことにしよう。


8月9日 日曜日 晴れ ポジティブな絶望

朝10時、起床。
犬を洗って、飯を喰う。
頭の中にひとつの言葉があった。「ポジティブな絶望」、意味不明の言葉。
頭の中にひとつの曲があった。ブズーキを買ってすぐに出来た、仮のタイトル「ブズーキ#1」。
頭の中にひとつの景色があった。「天へと続くハイウェイ」。
この3つが一日中、俺の頭の中をうごめいていた。憑きものみたいに取りついていた。それらが結び付くのか、それとも化学反応を起こして分解するのか分からなかった。ローラーブレードで1時間ばかり走って考え、紙の前で静止して考え、ありとあらゆる方法を試してみたが糸口は掴めなかった。
深夜1時、何かが見えてきた。
そのハイウェイがどんどん伸びていく。男は渇いた景色の中、走っているのか走らされているのか、猛スピードで車を飛ばしている。次々に現われる標識。速度注意、動物飛びだし注意、Uターン禁止、エトセトラ、エトセトラ。
男は気付いた。日々はまるでこんな風だった。標識通りに生きてきた。そうやっていると周囲は彼を褒めてくれた。学級委員もよくやらされた。女にもモテた。何でも出来る。英語も出来る、数学も出来る、けれど何かが決定的に足りない。
ふとミラーを見ると、後から車が大挙して迫ってくる。メルセデス、トヨタ、BMW、エトセトラ。後戻りは出来そうにない。
中途半端に回転の速い頭、失敗を自給自足するヒッピーみたいに。親から遺伝した狂った血が騒ぎ出す。
「取りかえしがつかないほど、いつか誰かを傷つける」。
彼女は「理解できない」と云って泣いた。
「天へと続くハイウェイ」。そして直感。この世にはポジティブな絶望と云う道がある。それは世代が生んだ道だ。見届けてやる。

注 この曲は「天国へと続くハイウェイ」なる曲になり、アルバムの1曲目に収められた。ブラボー。

8月10日 月曜日 晴れ かつて石のように

昼12時、起床。
「仕事をする時は飲まない」のが俺のポリシーだが、昨夜は飲みながら詩を書いていたようだ。「天国へと続くハイウェイ」について考えていたので、リラックスしたかったのだろう。
目覚めた時に、昨夜のグラスが置いたままになっているのが嫌いだ。俺にとって、酒はその日の終りを意味する。自分へのささやかなる褒美でもあるし、気分を落ち着かせるためのものでもある。だから飲んだ後グラスを片付ける。今日は今日。明日は明日だ。
かつて、俺は危険な飲み方をしていた。「酔う」ために毎晩飲んでいた。酒の種類なんて何でも良かった。てっとり早く、しかも安価であればある程良かった。すきっ腹に強力な度数の安酒。けれど今はそうではない。そんな事を続けていたら、志なかばで死ぬのは目に見えている。
昨夜のグラスはテーブルの前に残ったままだった。微かに昨日の臭いが残っている。気分が悪い。要するに、これは今の俺にとっては「飲みすぎ」なのだ。
昼過ぎ、リハビリに行き、その足で吉祥寺へ。夏休みの渋谷の人ゴミに耐えられそうになかったからだ。10冊の本を買い、CDも買う。そのまま家に帰り、「ニュークリアエイジ」上下2巻を読む。「個」と「マス」。世界党による個人的革命。異物を受け入れること。最近俺が考え続けていることへのヒントに溢れる本だった。著者、訳者に感謝する。素晴しい仕事だ。
夜、飯を喰ってローラーブレードで1時間程街を走る。伴走している犬の方がくたびれている。夜中にヤンキー眼鏡(昔の言葉で45度と云うやつ)をかけた長髪、短パンの男が犬をひきずりながら、シャカシャカとローラーブレードで走ってくる。人々は俺に道を譲ってくれる。さぞかし不気味なのだろう。俺だって逆の立場だったらそう思う。けれど、俺はこのスピードが好きだ。リズムも好きだ。
深夜11時、ようやく仕事開始。家族の歌に取り組んでみる。次のアルバムにどうしても入れたいテーマだ。機は熟している。
かつて石のように、今は握り拳のように頑なな男が歌う「家族」の歌。

8月11日 火曜日 晴れ 猫パンチの日

昼1時、起床。
昨夜は頑張りすぎたようだ。家中の酒を飲み干してるし、陽が昇るまで詩を書いていた記憶もある。締切まであまり時間がないが、焦っても仕方がない。このところ、昼と夜は逆転しているものの、深夜の詩作を楽しんでいる。
夕方までカポーティーのインタビュー本を読む。彼の文章は時として比類なきほど美しい。しかし、人格は時々破綻している。そこに俺は興味がある。廻りの人間はたまったものではないだろうが、創作者が「ナイスガイ」である必要はない。俺にとっては。
けれど、立場を自分に置き換えてみると「悪人」でいる事も難しい。無理して「悪い奴」になろうとしている事自体、既に創作者ではない。それ故、俺のような凡庸な創作者は「ナイスガイ」と「アウトサイダー」の間で揺れるのだ。ポジションとしては「間抜けなアウトサイダー」あたりが一番気楽だ。
深夜、そんな事を書き綴る。誰かが策略として、屋根にかけた梯子がある。男はまんまとそれに登り、うたた寝をする。目覚めると梯子はない。仕方がないから飛び降りたら、ボキっと音がして骨折する。世間的には持ち上げられて、落とされ、お茶の間に話題を提供する。3度おいしい間抜けなアウトサイダー。

8月12日 水曜日 晴れ どこでもない男

昼12時、起床。
テレビを観ながら、朝昼飯を喰う。「親子2人、金沢の旅」。俺が喰っているものはホットケーキ。不思議な感覚。現実は時として、トリップしているような「感覚」に陥らせる。寝ぼけているせいもあるだろう。けれど目の前で起きていることが全く理解できないのだ。だんだんホットケーキがアダムスキー型円盤に見えてくる。その表面は月のあばたみたいだ。遠近感がつかめない。それを食らう俺。俺はゴジラより巨大なのか?画面に映る旅する親子。??????????。
どうも連日の詩作のせいで、想像しすぎるのかもしれん。頭を冷やそう。
仕方がない。白昼ローラーブレードで汗をかく。ローラーブレード1号は滑りすぎて車輪がダメになってきた。何事も限度と云うものがある。まだ買ってから1月位しかたってないのに。
夕方、リハビリに行き、飯を作り、ポール・セローの「世界の果て」を読み、とんねるずが、「スターにしきの」を騙す傑作なテレビを観て、もう一度犬を連れてローラブレードで街を走り、時既に夜11時。ようやく仕事開始。
「どこでもない男」。
明け方近く、隣では妻が小さな寝息をたてている。彼女は寝言でよく「ママ」とつぶやく。男は眠れない。遠くの街道を走る車の音を聴いている。枕元のビールの空き缶に思考がこだまする。
日曜日にはカローラを洗い、ディスカウントストアで買い物をする。
こんな男が存在するのかどうか、俺は知らない。けれどその姿が浮かんでくる。「世界の果て」、そして「何処でもない男」。決して「劇的」ではない。けれど俺には充分「劇的」なのだ。そんな日常を静かに俺は描いてみたい。
明日は思考が麻痺しないことを祈る。
只今、午前1時近く。ラウンドの休憩時間にこれを書いている。後1〜2ラウンドは闘ってみるつもりだ。

8月13日 木曜日 晴れ 失われる一日

昼12時、起床。
電気屋が冷蔵庫を運んでくる。ただそれだけの一日。深夜までじっと待っていたが、机に向かう気にはならなかった。

8月14日 金曜日 晴れ Do the right thing at the right time

11時、起床。
夕方まで「それぞれの事情」についての詩をまとめる。何度もここに書いたが、俺が書きたいことは「劇的」なことではない。それ故にやり甲斐があり、難しい。日々はそんな風に流れていく。それを表現したいと思っている。誇張するのは簡単だ。でも現実はそうではない。何でもないことに感激し、他愛のないことにいつも怒っている。世界党の個人的革命。
夜8時、モーガン・フィッシャーの家に行く。彼は明日からバリに行くのだ。その前話しておきたいことが互いに山ほどあった。まずは彼が晩飯を作ってくれる。
ギネスを飲みながら、ベランダで音楽について話す。随分と長いこと話していたような気がする。互いの最近の作品を聴いてみる。
相変わらず、コンピューターを駆使して創った彼の作品のクオリティーは高い。が、しかし、彼が酔った時に頭に浮かんできたものを、さっさと弾き語りでテープに記録したものの方が「衝動」に満ちている。言い替えるならそこに「人間」をより感じるのだ。俺の創ったものにも同じことが云える。
「熟考」は危険をはらんでいる。物事には「推敲」は必要だ。その狭間について、自らのポジションについて、ジョン・ケージからロバート・ワイアットに至るまで語っていたような気がする。
千鳥足ならぬ、千鳥チャリで家に帰りながら、頭の中には「Do the right thing at the right time」と云う言葉が響いていた。

8月15日 土曜日 晴れ スグランブル交差点から見上げる渋谷の空

昼12時、起床。夕方まで詩作をする。
夕方6時、渋谷に「つづらおりの宴」を観に行く。
平安隆さんの歌は素晴しかった。「技術」で歌うのではなく、「心」で歌う人だ。おまけに音楽に身をゆだねるだけの「隙間」がある。彼の「満月の夕」は中川や俺のヴァージョンよりも好きだ。こうやって誰かが歌い継いでくれるのは、本当に嬉しい。
最後にソウルフラワー・モノノケサミット。俺は個人的に「ユニオン」より「モノノケサミット」の方が好きだ。彼等のことだ、いつか「モノノケ」の良さが「ユニオン」にフィードバックされるだろう。そうなれば無敵だろう。
立ちっぱなしで聴いているのは辛かったが、「元気」をもらった。有難う。
その後、中華料理屋で飲み、中川と散々話をする。それからどこかの居酒屋で飲み、バーで飲み、気がつくと渋谷のスクランブル交差点の前に座ってKさんと話していた。既に太陽が昇らんとしている。悪くなかった。
元気な音楽、沢山の人との会話。ヘベレケになってはいたが、俺は元気だ。何かの歌にも書いたが「人が好きだ」と思える日はとても嬉しい。このヘナチョコの人生にも感謝したくなる。明日は間違いなく二日酔いだ。まぁいっか。
みんなどうも有難う。

8月16日 日曜日 晴れ クソ暑い日

昼2時、起床。
頭が痛い。当り前だ。昨夜はビールに老酒にウイスキーにワインを飲んだはずだ。バカ。
おまけにクソ暑い。
「夏」らしいと云えないこともないが、この街には泳げる海がない、あったとしても遠いし、芋の子洗いのような海では泳ぎたくない。
幼い頃から夏になると、近くの海でバカみたいに毎日泳いでいた元カッパとしては、この季節になると身体のどこかが「泳ぎ」に疼く。しかし、この状況ではいかんともし難い。
仕方がないので、真昼からローラーブレードで街を走る。汗が酒臭い。
暑い。天井がそのまま屋根になっているこの家はまるでサウナだ。外の方が涼しいのだ。おまけにクーラーが嫌いな俺は、開き直って汗をかくしかない。本も読みたくない。ましてや仕事なんて出来るわけがない。
新聞の見出しに「北アイルランドで爆弾テロ」の文字。暗澹たる気分になる。長い抗争史上、最悪の数の死者。オマーと云う国境線近くのその街には何度も行ったことがある。共和国から国境を越えて、北アイルランドに入る。全てが変わる。街も空気も道も人も通貨も雰囲気も。マシンガンを抱えた兵士。全てが重苦しくなる。リパブリカンにとって「ロンドンデリー」と云う街は存在しない。彼等はあくまでも「デリー」と呼ぶ。あの抗争を思う時、俺はいたたまれなくなる。ようやく交渉のテーブルが用意されたと思った矢先の事件。過激なリパブリカンにとってはアイルランド統一しか考えられないのだろう。心情的には理解できる。賛成もする。しかしテロが何かをもたらすだろうか?俺は抗争が激化しないことを祈るだけだ。全ての人間が納得する解決方法はないだろう。陳腐な言葉だが「希望を持ち続ける限り、希望は希望であり続ける」。どんなに遠い道のりも最初の一歩から始まる。俺はギターを持って考えていこうと思う。彼の国の友人達と。

8月17日 月曜日 晴れ 風の強い日

昼12時、起床。
クリントンが例のセクハラ疑惑で、明日法廷に立たされるらしい。もしクリントンが何がしのことをやったとしたら、素直に吐けよ、とか勝手なことを思う。「女好きの大統領」。俺は好きだけどな。この世でゲイ以外に女を好きになれない男なんているのか?
立場を俺に置き換えてみる。俺は姑息なところもあるから、その意味ではクリントンの気持ちも分からんではない。世の中の出来事はいろんな事を考えさせてくれる。
随分前にバンドの連中と「サイテーの男」について話したことがある。
A君は何でも包み隠さず話す。挙句の果てには様々な「事件」が待っている。
B君は最後までシラを切り通す。彼いわく「認めない限り、事実は灰色であり続ける」。
C君はシラを切り、必ずバレる。いつも悲惨な結末だ。
至った結論。全員C君が「サイテー」だと云うものであった。
夕方から詩作。だんだんアルバムの骨のようなものが見えてきた。全体のトーンが「穏やか」だが、その中には「激しさ」や「強さと弱さ」が同居している。虚勢をはるのはもう止めようと思う。自分の現在のサイズを認めようと思う。そんなに荒ぶらなくても、いつも「風の強い日」なのだから。

8月18日 火曜日 晴れ 彼の墓に刻まれる言葉

昼12時、起床。二日酔い。
4時にファイヴディーに行き、ホームページを創ってくれているY君から指南を受ける。今まで俺は書きまくっていただけで、技術的な事にはノータッチにて好き勝手なことをやっていたのだが、Y君のアメリカ出張に伴い、お勉強せねばならなくなった。
Y君の語る言葉。それは「宇宙語」にしか見えん。マッキントッシュが初めて家に来た時。数年前の悪夢が頭をよぎる。その日、グルーヴァーズの藤井一彦がソフトの入ったフロッピーを持ってお祝い(何のお祝いだ!)に来たのだが、俺達は朝までかかって、そのソフトを開けなかったのだ。誰も信じてくれないがこれは本当に起きたアンビリバボーな事実だ。
その後、俺はマッキントッシュに「マウスをクリックしてみましょう!」とか屈辱的なセリフを吐かれながら、どうにかこうにかここまで辿りついた。
でもって、あまりに「宇宙語」なので、本日のところは自分でダイアリーを更新できる最も簡単な方法を教えてもらう。世にこれだけ存在するホームページが、こんな面倒な作業の末に創られていたかと思うと、皆さんの努力に頭が下がる。
もともと俺は文系の母親の血が遺伝したのか、機械、数字、物理と名のつくものはからっきしダメだった。高校時代には数学と物理で栄えある0点を5回は記録している。しかも親父は数学の教授だった。奴はセレモニーが嫌いだったが、一度だけ中学の入学式にきてくれたことがある。式の後、彼が持っていたパンフレットを見ると得体のしれない数式がギッシリ書き込まれている。「それは何だ?」と俺が質問すると、「あまりに退屈だったのでカマボコ状の体育館の天井の面積を計算してた」と答えた。
遺伝とは不思議なものである。俺はその才能を全く受け継いではいない。別に数字における才能を受け継がなくてもいいが、奴のハゲだけは受け継ぎたくない。正直に云おう、ハゲは怖い。ゴキブリ並みに怖い。しかも2人の祖父はユル・ブリンナー並みのスキンヘッドだった。隔世遺伝にせよ、そうじゃないにせよ、俺はハゲからは逃げられないのだ。これは宿命だ。
けれど一言云っておこう。もしハゲてきたなら(書いていながら既に怖いが)俺様は堂々とハゲる。逃げも隠れもせん。
半年位前、猛烈に頭皮がかゆかったことがある。俺はハゲはこうして始まるのか、と猛烈に不安になった。暫く悶々としていたが、自分独りでは抱えられなくなり、思わずモーガン・フィッシャーに尋ねてしまった。
「ねぇ、モーガン。ハゲる前って頭皮がかゆくなる?」
すると彼はこう答えた。
「全然」。
俺は救われたが、彼がムッとしていたことは云うまでもない。
脱線してる。そんな訳で今週の土曜から暫定的に俺がデーターをアップすることになった。ファンの皆さんのはげましのメールを期待している。
Y君とのミーティングの後、プロデューサーG氏と話す。レコーディングの方法について。明日からようやく自宅の作業とはおサラバだ。明日から3日間、トリオでリハーサルをして、月末には1週間、レコーディングスタジオにてプリプロダクションをやることになっている。暫くの間、孤独な作業から解放される。「月に吠える」の時に比べ、俺ひとりの作業を念入りにやっておいたから、仕上がりも前とは違ってくるだろう。すぐにヘコむ伴慶充には昨夜ムチを入れておいたことだし。
シャラララ 伴ちゃんの墓に刻まれる言葉。「スマイル0円」。

8月19日 火曜日 晴れ リハーサル初日

昼12時、起床。
2時にスタジオへ。久し振りにバンドとのリハーサル。今日から3日間、プリプロダクションに入るための下準備をする。
取り敢えず4曲試す。イケてるものも、イケてないものも、やる事は山積みであることだけは分かった。明確に問題点が分かっただけでも良しとしよう。普段の俺なら多少暗い気分になるところだが、最近なんでも「前向き」に考えられるようになってきた。サイテーの時でも「これ以上は悪くならん」、そう考えることにしているのだ。第一、他人に心配をかけずにすむし、それが虚勢だとも思わない。他人に相談する時はよっぽどの場合だ。「相談」の殆どは「気休め」に等しいもので、大抵は「相談」する前に答は自分で分かっているものだ。
9時に今日の作業を終了。家に帰り、ローラーブレードで爆走。気分を変える。
深夜まで今日のテープを聴いて、浮かんだアイデアを書きとめておく。
複雑なものはシンプルにする。それが俺の好きな考え方だ。小手先の転調、これみよがしのメロディー、手癖で出来たアレンジ。そんなものをどんどん捨てていく。一旦曲を「骨」だけにしてみる。それでもズッシリと太い「骨」があり、おまけに「輝き」があるもの。それだけが人に聴かせるに値するものだ。それがなければ、俺は怖くて人前で歌うことは出来ない。
ようやく「エピタフ」が完成に近ずいてきた。2転3転。長かったが、ようやくゴールが見えてきた。試したアレンジ数知れず、書いた歌詞数知れず。でも嬉しいのだ。ウルトラセヴンのタイトルバックのように、新しい曲の表情が浮かび上がってくる瞬間が。


8月21日 木曜日 曇り リハーサル2日目

朝10時、起床。今日も多忙な一日。
寝ぼけたまま、ホームページの「Diary」を更新するテストをする。どうにかこうにか、成功。背中には汗。
昼2時にスタジオへ。今日は俺よりも先にメンバー2人が来ている。
今日も新たに4曲試してみる。この2日間で合計8曲だ。ちょこちょこアレンジやキーや歌詞を変えながらの作業。曲を書いた本人だってこんがらがっているのだから、メンバーは大変だと思う。おまけに音楽の世界が今までと違うものが沢山ある。
たとえば「夏」と云う曲。この歌は、「じいさん、ばあさん、蚊取り線香、蚊帳」と云った歌詞が登場する、超日本的世界の歌である。俺は冗談でこの曲を「さだまさし」と呼んでいる。しかし、間違ってもラケンロールだ。ラケンローラーにはタブーとされている世界でも、俺は現実にそんな世界で育った。だから表現したい。決してウェットになることなく。幸いにしてメンバーは俺の気持ちを理解してくれる。そこらへんの格好だけロックな奴だったら拒絶されても仕方のないテーマなのだが。
そんなシンジュンを繰り返しながら、夜8時、リハは終了。伴慶充は居残り特打ち。本当なら「さぁ、仕事も終ったし、飲みにいこーぜ」と云いたいとこだが、我々にそんな時間の余裕はない。後髪を引かれながらも家路につく。
家ではアホ犬が俺を待っていた。尻尾がちぎれそうな位喜んでいたので、街中引き回し。奴は疲れさせるに限る。
その後、メールに返事を書き、雑多な仕事をこなし、ようやく詩作にかかれると思ったが、奴が遊んで欲しそうな顔をしていたので、ローラーブレードにて本日2回目の街中引き回し。ついでに本日3回目の奴のクソを拾う。ソングライターは「Mr.シットピッカー。」
深夜、ようやく詩作開始。
数本の電話。ドーナル・ラニーバンドとレコーディングするために奔走してくれている我が友人。実現するといいが。金がなくても時間がなくても名声がなくても、ポジティヴにやっていけば「想い」は通じるものだ、といつもその人物から俺は学んでいる。有難う。
詩作の合間に伴ちゃんに電話。いつだったか、ファンが「ライヴ中の伴ちゃんの笑顔は、他のメンツの誰よりも素晴しい」と云っていたのを思い出したのだ。奴は丁度今日のテープを聞いて考え込んでいるところだった「スマイル0円」。俺はその旨伝えて電話を切る。
明日は明日の風が吹くだろう。誰も明日のことは分からない。けれどこれだけは云える。俺達は決して誰かに頼まれて「これ」をやっているのではない。好きでやっているのだ。こんな幸せものの「悩み」なんて「悩み」ではない。

8月21日 金曜日 リハーサル最終日

朝10時、起床。
仕事に行く前に雑多なことを片付けておこうと思ったが、たまたま観た高校野球に釘付けになる。俺も野球少年の端くれだったが、スポ根と上下関係にどうしてもなじめなかった。しかし山川浩正に云わせると、俺は充分に体育会系なのだそうだ。このように、人間は矛盾しているし、自分と第三者の意見は異なるものだ。俺は物事を自分の都合の良いように記憶するので、こう云った矛盾は多々ある。おまけに過去の「ネツゾウ」だけではなく、「創造」もあり得ると思っているから、余計タチが悪い。
話を戻そう。高校野球だ。高校生のスポーツの中で、野球だけがこんなにメジャーなのはどうか、と思う時もある。しかし、こうやって観てみると確かに引き込まれるだけのものはある。特にピンチ(相手にとってはチャンス)における、敵と味方の顔のクローズアップ。殆どの場合、結末はそこに記されている。そして大抵予想とおりの結果になる。プロの連中は修羅場をくぐっているだけにそんなに如実には現われない。撒き散らされる「感動」なる言葉は好きになれない。しかし闘っている高校生自体に何の問題もない。下手なドラマを観るよりもずっと面白い。
昼2時、スタジオへ。リハーサルの最終日。伴慶充は「前向き」な気持ちでドラムを叩いている。不思議だ。音がこちらに向かってくる。
「コンドル」なる曲でリズム隊が創ったグルーヴがあるのだが、2人の良いところが絶妙にミックスされている。こんなことがある日はとても嬉しい。
リハ終了後、用事のあった山ちゃんは帰宅。俺は伴ちゃんと静かに酒を飲む。スタジオの近くに居心地の良い飲み屋がある。そこのおじちゃんとおばさんが俺は好きだ。
家に帰り、今日だけは深夜の仕事を放棄する。明日から3日間は詩をまとめる日に充てる。

8月22日 土曜日 晴れ 詩作と思考と表現の狭間にて

昼12時、起床。
忘れないうちにホームページの更新をする。この作業にもようやく慣れつつある。
今日から3日間。プリプロ前の最後の詩作の期間だ。
夕方にスパゲッティーを喰って、仕事開始。いろんな曲をまとめていくと、ここ1年で感じていたことがちりばめられている。
特徴。やたらと女性が登場すること、登場する多くの女性がトラウマを抱えていること、劇的な部分が省かれていること、故郷との距離感、どこでもない場所、どこでもない男、日本的な風景、シンプルな曲が多いこと、静かな曲が多いこと、虚勢が去勢されていること、主語が徹底して省かれていること、一人称に「私」が使われていること、使われている楽器が少ないこと、テンポが遅いこと(bpmが100以上の曲は殆どない)、エトセトラ。
創作を続けていると、不安になることがある。本当にこの方向でいいのだろうか。こんな歌を書いて皆に喜んでもらえるだろうか。けれど全て、自分がそう書きたかったのだ。そう表現したかったのだ。自分の才能と直感に自信を持つしかない。
メジャーから作品をリリースしている以上、俺は「売れてナンボ」の世界に生きている。作品は「商品」である。どうやったら売れるのか?それは俺には全く分からない。ひとつだけ云えること。世間のトレンドに乗ってズッこけるよりは、自分の表現したいことを第一に考えた方がマシだ。一番の望みは俺達の新しいアルバムを手にした人々の日々に音楽が新たな直感をもたらすことだ。
深夜、そんなことを考えながらこの日記を書き、IARLA O LIONAIRDのアルバムを聴く。俺の心に深く染みこんでくる。素晴しい。

8月23日 日曜日 晴れ オーディナリー・ライフ

朝10時、起床。
朝飯を喰って、毎週恒例の洗犬。
今、「どこでもない男」と云う、どこにでも存在していそうな男の歌を書いているので、主人公と同じ一日を体験してみることにする。
昼過ぎに洗車。この歌のサビの出だしは「日曜日に車を洗い」なのだ。何故か俺にはグっとくるものがある。98年の「ハレルヤ、イェー」に等しい。俺にとっては。
この界隈は殆ど勤め人が住んでいる。俺がたまにウイークデーに車を洗っていると何故か周囲の視線がキビシイ。車は道具であるからして、必要以上に大事にするのは好きではない。外を走っているのだから、傷なんかついて当り前だ。この界隈のお父さんはとても車を大事にしている。その気持ちを考えながら、洗車してみるものの、やはり理解は出来ない。
それからディスカウントストアにて買い物。カートをコロコロ転がしながら店内を一周。半ズボンをはいたお父さん達が目立つ。そしてお父さん達、あまり元気がない。そりゃそうだろう。今日は働いてやっと手にした休日なのだ。にわかお父さんの俺はやっぱり浮いている。しばし観察。走り廻るガキ大勢。俺なら許さん。アイスクリームを喰いながら歩くガキ少々。俺なら買わん。
ついでにローラーブレード2号を購入。売り場の雰囲気にまるで似合わないラケンローラー。
慣れないことをして疲れたお父さんはしばし夕寝。
夜8時、辰吉のボクシングを観戦。そのまま11時までテレビを観て(CMを観ていると頭が痛くなってくる。俺は「私は歩く、キティーのために」と歌っているCMが嫌いだ。(理由は不明。本能的にだ。)
それから新しいローラ〜ブレードで犬と散歩。酒屋で焼酎を買って、風呂に入る。
深夜1時、この日記を書く。今からが詩作の時間だ。今日が何をもたらしたのか、これからまとめてみるつもりだ。

8月24日 月曜日 晴れ 二日酔い

昼12時、一旦目を覚ます。完全なる二日酔い。
昨夜(と云うより今朝)は焼酎1本をあけたようだ。
結局、夜まで使い物にならず。
明日からはスタジオでプリプロダクションだ。ハードな日々が続くので、今日はゆっくり休んでおくことにする。

back to "hibi" diary