
音楽を始めてからずっと、求めていたのはバンドの音だった。どんな名うてのセッションプレイヤーが束になっても出せないバンド固有の音。
80年代のある時期は、一年のうち300日はバンドで音を出していた。鉄壁だった。が、やがてそれもほころびる。歳を重ねると共に、「個人」が大切になってくる。それぞれのメンバーが様々な場所から何かを持ち帰ってくる。それがバンドの理想だったのだが。
96年、気がつくと俺ひとりになっていた。仕方のないことだ。それでもヒートウェイヴは捨てたくはなかった。ソロになるつもりはなかった。スタッフを含め、いろんな場所から一芸に秀でた奴が集まってくる勝手連のような場所。相変わらず俺はそれを求めていた。このアルバムはそんな意味において、初めての「進化した形」のバンドによって創られた。バンドにとって最も大事なのはエンジン、つまりドラマーである。伴慶充はヒートウェイヴの1ファンだった。そして名うてのトラックドライバーでもある。モーガン・フィッシャーはモット・ザ・フープルに居た。スーパースターとしての生活に嫌気がさして、世界中を流浪し日本に辿り着いた。山川浩正はザ・ブームのベーシストだ。けれど、今や完全にヒートウェイヴにはなくてはならないものだ。レコーディングスタジオに入る前、我々は山中湖のスタジオに自らを1週間幽閉してみた。昼に起き、曲を書き、散歩をし、晩飯を喰って、もう1度曲を書き、朝まで飲んで、俺はその後歌詞を書く。そんな一日だ。寝る暇さえないので、体力的にはシンドかったが、猛烈に充実していた。バンドのメンバーそれぞれが「独立」した存在だったからだ。我々にタブーはなく、どんな突拍子のないアイデアでも必ず試してみた。曲のきっかけの殆どは俺が持ち込んだが、仕上がるまでの作業は、全て4人の均等な力によって行われた。俺はただ黙って曲が変化していく行方を見ているだけでよかった。伴慶充はテンポをキープし、モーガンは豊富なアイデアの引き出しを持ち(遊園地の音が必要だと判断すると、彼はDATを抱えて飛んでいった)、山川浩正はシュアなベースで土台を支えた。この出入り自由のヒートウェイヴが俺にもたらしたものは大きかった。何の制約もない、完璧に自由なバンド。バンド19年目にして初めて得られた収穫だった。
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