MIYAZAWA EUROPE - JAPAN TOUR 05
高野寛による“MIYAZAWA-SICK'05”ツアー日記
2005年01月20日(木)

 リハーサル初日。去年の南米、一昨年のポルトガル/ポーランド/ドイツの時はブラジル勢と現地で集合、地元のスタジオで少ない時間のリハーサル後→本番だったけれど、今回はマルコス、フェルナンドが日本に来て、たっぷりリハをしてから本番に臨める。

 最初のMIYAのソロツアーが'98年、僕はそのツアーの最後の2本に参加して初めてスザーノ、フェルナンドとプレイした。ほぼ今のメンバーに固まってからはや5年目。1年に1〜2度の恒例行事、というか仕事であって仕事以上の旅。メンバーはかなりイイ年なので(笑)年輪を重ねるにつれどんどん音が変わってくるのだ。定期的に、たまに会うからよくわかる。年を重ねるごとに太く、強靱になってきてる。今日は一曲目から来てた。モニターに細かい注文を出すメンバーもほとんどなく、いきなり仕上がっていた。スタッフもずっと同じメンバーだから、さすがだ。初めての曲に次々手を付けていく。あっという間に仕上がって、結局メニューの半分を1日でさらった。

 食事中、MIYAにモスクワのギョーザみたいなたべものの話をきいた。そういえばピロシキもラビオリもギョーザに似ているし、アルゼンチンの楽屋でも同じようなスナックがオヤツにでてきた。みんなでヨーロッパギョーザ探ボウもしてみよう。
2005年01月21日(金)

 リハーサル2日目。ゲンタは昨日のリハの後オールナイトのイベントに出演後スタジオ入り……なのだが疲れは微じんも感じさせず。みんな忙しい。そしてタフ。

 マルコスとフェルナンドが新曲のギターのアドバイスをしてくれた。曰く16音符の2と6の位置にアクセントがあるのがサンバ。4分音符の2と4のベースラインを強調するといい、と。最近ジョアンを再確認しつつ奏法を研究したりしてたのだが、2人は「ジョアンはサンバじゃないから」と、ブラジルのトップミュージシャンにしか発言できない大胆な意見。その時MIYAがかつて「EnVou Junto」のギターはボサノヴァじゃなくてサンバのグルーヴで、といっていた事の意味がわかる。頭に電球がともるように! ボサノヴァはサンバの子供にしてサンバにあらず。マルコスとフェルナンドは「ジョアンはまるまる3ヶ月同じ曲を練習しつづけたことがあって、耐えられなくなった飼い猫が窓から飛び降り自殺したことがある」と言っていた。本当だろうか?

 2人の指導の甲斐あってリハは今日も順調。19曲中あと3曲を残すのみ。毎日録音をきき直すのが楽しい。

2005年01月22日(土)

 リハーサル3日目。ブロックごとに確認。MIYAのライヴで一番苦労するのは、あまりに多岐にわたる各曲のイメージをちゃんと切り替えながらひとつのステージをつくること。少し慣れてくると、逆にこじんまりしてしまったり。そんな個人的な葛藤をよそにいつもスザーノは安定したプレイだ。バンドの支柱。

 今までは、ジャンル・人種のミクスチャーがつくるある種のカオスがMIYAZAWA-SICKだった。今回は同じ曲を同じメンバーで演奏しているのにひとりひとりの音がはっきり自分の立ち位置を持って、強力なグルーヴとアンサンブルをつくっている。自分の耳が進化したのか? バンドとして進化したのか? たぶん両方だろう。時折やってくる圧倒的な一体感を、どれだけ引き寄せられるか、それがツアーの醍醐味。

 スタジオの中には日本語・英語・スペイン語・ポルトガル語と笑い声がとびかっている。もうそれが日常のことになってきている。ルイス(キューバ)/クラウディア(アルゼンチン)のスペイン語チームと、スザーノ、フェルナンド(ブラジル)のポルトガル語チームがスペイン語とポルトガル語で会話しているのはいつも不思議だ。スザーノは仏語も話す。ラテン系の言葉は似ているので覚えやすいらしい。「またあした」は「アスタマニアンナ Hasta manana(スペイン語)」→「アテッアマンニャン Ate amanha(ポルトガル語)」。

2005年01月23日(日)

 リハーサル4日目。入り時間を間違えてひとり遅刻……。

 初めて通してリハーサル。今回のメニューはバリエーション豊かなのにリズムの流れがスムーズで演りやすい。が、ノンストップで5曲位続くシーンもあって、油断は大敵。「気のきいたMCで間をもたせることもできないからね」とMIYA。多国籍チームの我々をもってしても、ポーランド/ブルガリア/ロシアの言葉はお手上げ。ヴォーカリストにとってMCはライブの雰囲気やリズムをつくる重要な手段のひとつだから、それをうばわれてしまうのは大きなハンデだ。そんな状況下で今までのツアーでも日本語と英語と現地のことばを折りまぜてMCをしながら加えてポルトガル語とウチナーグチの曲もあやつるMIYAのコミュニケーション力には敬服する。

 リハーサルはとても好感触。曲が終わるたび「BON」「スバラシイ」「イイネッ」「バッチリ」等々、ついみんなが口にする。

 フェルナンドがサンバのギターのグルーヴの参考に、とJoao BoscoのCDを買ってきてくれた。オブリガード!

 スタジオから外に出ると、雪が舞っていた。身がひきしまる。冬のヨーロッパ〜ロシアの旅のイントロが始まった気がした。
2005年01月26日(水)
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 出発します!
 成田は雪でした。

2005年01月26日(水)

 機内にて。
 成田は雪だった。
 いつものように大量の荷物/楽器/機材を皆で手分けして預ける。大変な作業だけれど、もう4度目の海外、どこか手慣れてきてもいる、頼もしいスタッフワーク。

 皆両替をどうしようか悩んでとりあえずユーロに換えておくことに。今回の旅は仏、露、ポーランド、ブルガリア、英と全てお金が違う。成田ではユーロとポンド以外は両替できるところも近くになかった。

 '94年に坂本龍一さんのツアーで廻ったときはまだユーロがなくて、英/仏/伊/香港/ベルギー/全部違う通貨だった。
 あのツアーでボッサの基本と英語とワウペダルの使い方を覚えた。僕とMIYAはYMOに強く影響されて育った。
日本の音楽も海外に通用するという夢。
 YMOの2度目のワールドツアーのギタリストだった故・大村憲司さんは僕のエレキギターの師だった。憲司さんが最後にプレイしたセッションの仕事は、20世紀末のMIYAのソロライブだった。
今、全てがつながってきている。



 パリに着いた。粉雪の舞う夕暮れ、風が骨に染みるように寒い。スタジオ−成田−パリと雪が続く。